本日、2022/8/21、朝起きてTwitterを開いたら、ハッシュタグ「#国は安楽死を認めてください」がトレンド入りしていました。
思えばちょうど前日に、日本のティーンエイジャーの女性が「死刑にして欲しい」という理由で、刃物で通り魔的な殺人未遂事件を起こす、痛ましい出来事がありました。(なお、現代日本において、18歳未満の未成年は少年法により、まず死刑にはなりません)
さらには、その1~2週前にも、同じく「死刑にして欲しい」という理由で過去に大量殺人に及んだ、某死刑囚の死刑が執行されたりという出来事もありました。
それらの出来事を受け、大衆がうすうす感じていたことが、SNSを通じて噴出したものだと個人的には思っています。
私は安楽死に関しては、会社勤めで元気に働けていたころは、どちらかと言えば賛成派でした。
個人の(今の言葉でいう「無敵の人」の)自殺願望で、貴重な労働力を道連れにされては社会的な損失だと考えていましたし、列車に飛び込まれて人身事故が起きたときは、自らの命を絶った方への哀れみよりも、列車遅延に対しての苛立ちの方が勝っていたように思います。
(乱暴な言い方をすれば、人に迷惑かけて死ぬくらいなら独りで安楽死してくれ、くらいの気持ちでした)
しかし、私もその後、(自身の能力や職場での振る舞いとは無関係な)上司からの理不尽なパワハラを受けたことが原因で、まともに働けなくなり、希死念慮と抑うつ状態で何度も自死を考え、そこから立ち上がって労災を巡って争うも、腐敗した司法制度によってもみ消され、警察に相談しても相手にされず、といった経験を経て、やや考え方が変わってきたと感じます。
安楽死制度は、不必要な延命治療を廃止して、社会保障費の削減を目的とするならば依然として賛成派ですが、自殺願望者の受け皿として用いられるべきではないと考えます。
今必要なのは、経済的・精神的に追い詰められた方を、いかに「無敵の人」にせず、社会から必要とされる人材に変えていくか、という施策だと思います。
私は上記の経験もあり、一歩間違えば「無敵の人」までは行かずとも、パワハラ加害者への報復くらいはしていたかもしれません。
しかし、障害者手帳や、失業手当、就労移行支援などの各種制度のおかげで、そうならずに済んでいます。(ちょうど今は離職期間中ですが、資格取得や学び直しを積極的に行い、社会復帰に対して、多少の希望が見えてきたところです。)
少し調べてみると、日本は意外にも、(おそらく一般的なサラリーマンが思っている以上に)社会保障は充実しています。
その一方で、高度に情報化されたこの世の中、今後どのようなスキルが必要とされ、自分をどんな分野で活かしていくか(もしくは活かしていきたいか)というのを、各々が敏感になることも大事かと思います。
情報社会になってから、スキルの陳腐化が早くなったとは言いますが、反面、物事の学習コストも低くなったという面もあると思います。
もし、精神的にどん底まで落ちてしまい、安楽死を望むくらい辛い方がいましたら、十分な休養を取った後、自分がどんな人生を歩みたいか、自分にできることは何か、今一度、熟考してみてはいかがでしょうか。きっとそれは、労働等で多忙な環境ではできないことです。